2017年5月21日日曜日

工房間方のつくる米研ぎ笊

今朝ほど、待望のマタタビ米研ぎ笊が、奥会津の工房間方より、届きました。
手仕事専科では、工房間方の菅家藤一氏とのはからいから、奥三島の編組細工の商品をご紹介しています。
かれこれ、7年になるでしょうか。
地域興しでは、いろいろな考え方があります。
奥三島の地域行政では、村興しは、沢山の方々に奥三島に尋ねていただき、直接村民との
交流を通じて、産業と文化の交流・変革・発展を考えています。
菅家藤一さんが生活工芸館の館長だったころは、webサイトのご紹介は、ありませんでした。その頃からのお付き合いでした。

昨年から、いく度かのTV放映があり、奥三島のマタタビ米研ぎ笊や工芸品展が、ご紹介されるたびにマタタビ米研ぎ笊が、人気になりました。
そのようなことから、工房間方の工人達(74歳~94歳)も大変な忙しさです。
足腰の弱ったお年寄りには、山に入ってマタタビの材料を採ってくることは、出来ません。
関係藤一さんが、それらのマタタビを自分が管理する山から採取してきて、提供しています。
皆さんは、帆待ち仕事という言葉を知っているでしょうか。
私の育った那須町の中山間地域でもつかわれていました。
今でいう本業の合間のしごとです。
かつて、そこは、米俵編みや土方仕事や道路の作業仕事などでした。
こちら奥会津間方地区では、山から採ってきた山ぶどうやマタタビの樹皮から作る、手籠や米研ぎ笊をつくることが、帆待ち仕事になります。
工房間方の工人達の作るマタタビ米研ぎ笊です。
1~2カ月でお届けできるだろうと思っておりましたが、あまりの人気の御注文から、作り間にあっていません。
今では、5カ月先になろうとしています。
自然相手の手仕事から、ご理解を得られればと思います。
山相手に材料を採取して、お年寄りの工人が、ひとつひとつ作る手仕事です。
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2017年5月5日金曜日

会津木綿見本帳の紹介

手仕事専科でご紹介している会津木綿は、現在は、山田木綿織元一社のものです。
スタート時から、原山織物工場の商品をご紹介しておりましたが、一昨年に廃業されたことで現在は、山田木綿織元の商品をご紹介しています。
会津木綿の歴史にも記載されていますが、会津木綿は、明治中期以降に最盛期を迎えて、当時は、30社以上の工場が軒を並べていました。
しかし、現在は、山田木綿織元の一社となります。当時の豊田自動織機を現在もつかい、会津木綿の風合い「ごわごわ感」と保湿性と保温性に優れています。
昨今、手作りのストールが、人気を得ていますが、その時から、明るくカラフルな会津木綿の無地と縞柄のもようを求める方が増えました。
楽しみの手作りストール(会津木綿)
http://wabikuukan.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
しかし、問題は、その生地見本がないことでした。
そのようなことから、当サイト手仕事専科では、生地見本を見本帳として準備いたしました。
かつては、生地見本は、無料の印象があるでしょうが、その製作の大変さから、有料でご紹介しております。
御入用の方は、こちらからお求めください。
山田木綿織元 サンプル請求
会津木綿見本帳 山田木綿織元・は版(50種類)  
30部限定製作     
¥1,800
  巾18.5cm×丈6.5cm
 
■商品コードA-23101-01■

[会津木綿の特徴]
会津木綿(あいづもめん)は、陸奥国会津郡(現在の福島県西部)に伝わる伝統工芸品。
木綿平織の堅牢な織物で、古くから野良着などとして広く着用されていた。紺地に白い縞を織り出すものが元々一般的だったが、現在は赤や緑など様々な色の縞柄が織られている。厚みがありふっくらとした質感で、一般的な木綿平織物に比べて縮みにくい性質があるため、家庭での洗濯にも耐えるほどである。
経糸を小麦澱粉の液に漬けて固く糊付けし、横糸を織り込んでいく工程に特徴があり、糊付けしたことによる細かな節が経糸と横糸の間に空気の層を含む役割を果たしている。生地によく空気を含むため、汗をよく吸い込み保温性に優れる。
[歴史]
会津の綿花栽培は、天正年間に蒲生氏郷が執った産業振興策に由来するという。
寛永4年(1627年)には、加藤嘉明が以前の領国である伊予国松山から織師を招いて、会津に技術を広めた。伊予国はこの頃、瀬戸内交易の影響で、外国風の木綿の縞織物を特産品としており、これらの「伊予縞」(いよじま)と呼ばれる織物の技術が、現在の会津木綿の多彩な縞模様の素地となった。
寛永20年(1643年)、保科正之が綿花の栽培を奨励し、藩士の妻女の内職として木綿の織物に励むように勧告する。会津では農民の副作物として藍がよく栽培されており、農民の妻女は綿花の手紡ぎを冬の間の収入源としていた。
明治中頃、紡糸紡績業が発達する。綿糸を近隣の農家から購入するのではなく、国内の綿糸工場から大量に購入して力織機で大量に生産するようになる。
明治末期から大正にかけて、会津木綿の生産は最盛期を迎えた。
昭和以降、需要の急速な減少によって、生産は縮小。現在は、福島県会津若松市七日町の山田木綿織元の1社のみが生産を担っている。

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