2017年7月13日木曜日

神社で愛用される日光下駄

神社に伺いますと宮司さんたちは、宮司装束に下駄を履かれています。
日光下駄は、日光東照宮の宮司さんたちの履物が、由来です。
冬の雪道でも暖かい下駄です。
日光下駄は、桐下駄の竹皮の草履を麻で貼り付けたものです。
履かれる下駄の鼻緒の色は決まっていないようですが、宮司さん達からのご注文は、白の鼻緒が殆どです。
季節的なものでしょうか、今、御注文が相次いでいます。
湿気を吸い取る吸湿性に富み柔らかい竹皮の草履とベッチンの鼻緒は、他の桐下駄等の追随を許さない快適さです。

手仕事専科では、両工房をご紹介しています。
倉田工房は、日光下駄山本政史とは、コンセプトが異なります。
二枚歯と草履型を作りますが、竹皮の草履は、無垢です。
そして、鼻緒は、べっちんが一番としています。
また、桐下駄の踵のあたる部分を削り低くします。
土踏まずを刺激することで、健康的だといいます。
木綿布からの鼻緒もつかいますが、お奨めは、柔らかく丈夫な別珍です。
さらに鼻緒をきつめにし、突っかけるように履くための作りにしています。
これらのことが、倉田工房の拘りです。
倉田工房で、作られたいくつかの下駄をご紹介します。
手仕事専科 http://tesigotosenka.com
日光下駄山本政史  http://tesigotosenka.com/nikkougeta.html
倉田工房   http://tesigotosenka.com/kuratakoubou.html
白い鼻緒の日光下駄
倉田工房
青の鼻緒(べっちん)
赤の鼻緒
倉田監(つよし)さんは、
日光下駄の第一人者です。
機能性に富む下駄をつくられています。
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2017年7月7日金曜日

現代津軽こぎん刺し作家「貴田洋子氏」のこと

手仕事の逸品で取上げる方ではないのだが、敢えてこのブログにアップしました。
今般、手仕事専科に美術工芸・作家の頁をつくりました。
本来は、職人を対象にした「手仕事」のご紹介が目的ですが、絵画も工芸品も同じ地域の土壌に根ざしたものであり、兄弟姉妹のようなものだと見ています。
貴田洋子氏は、こぎん刺しに魅せられて、現在のような大作を刺して、生活の中の美ではなく、美術工芸としてのこぎん刺しを創られています。

ホームページを作る過程で彼女の作品を見るにつけ、その大作品の持つ、パワーを嫌が負うにでも感じています。
縦横無尽に飛び交う八咫烏(やたがらす)は、まるで生きているように映ります。
古事記のなかの導きの使いの鳥ですが、私には、何らかの力を持つ、鳥と感じています。
近々、ホームページは完成しますが、八咫烏とこぎん刺しの色彩が、美しく画板の上を乱舞しているように見えています。
そのような作品をご覧ください。
現代津軽こぎん刺し作家 貴田洋子
http://tesigotosenka.com/kidayouko.html

談笑される貴田洋子氏
こぎん刺し歴35年 
日本現代工芸美術協会 本会員   

日展入選8回
埼玉県展会員

http://tesigotosenka.com/kidayouko.html
 
製作途中の作品
八咫烏(やたがらす)です。

あす・への飛翔    2013年 現代工芸美術展賞      
  160cm×135cm 
 ■作品コード AC-04001■
茜色の舞                                  
  180cm×135cm 
 ■作品コード AC-04009■
まほろば・津軽平野の舞                                  
  160cm×135cm 
 ■作品コード AC-04008■
 
八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話において神武東征(じんむとうせい)の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。
八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。また、太陽の化身ともされる。
熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)とされており、八咫烏は熊野大神(素盞鳴尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる。近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん)にはカラスが描かれている。
咫(あた)は長さの単位で、親指と中指を広げた長さ(約18センチメートル)のことであり、八咫は144cmとなるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。
なお、八咫烏は『日本書紀』や『古事記』に登場するが、『日本書紀』では、同じ神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)が長髄彦との戦いで神武天皇を助けたともされるため、八咫烏と金鵄がしばしば同一視ないし混同される。
三本足の意味八咫烏が三本足であることが何を意味するか、については諸説ある。熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示すとしている。また、かつて熊野地方に勢力をもった熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威を表すともいわれる。
しかしながら、『古事記』や『日本書紀』には八咫烏が三本足であるとは記述されておらず、八咫烏を三本足とする最古の文献は、平安時代中期(930年頃)の「倭名類聚抄」であり、この頃に八咫烏が中国や朝鮮の伝承の鳥「三足烏(さんそくう)」と同一視され、三本足になったとされる。また1939年(昭和14年)に、「天皇の命令」の形式をとる勅令(昭和14年勅令第496号)によって制定された日中戦争の従軍記章たる支那事変従軍記章は、その章(メダル)の意匠に八咫烏を用いるが、これは三本足ではなく二本足であった。一方1931年(昭和6年)にはサッカー協会のマークとして三本足の鳥を図案化している、これは中国の故事に基づいたものと言われているが、日本サッカー協会のホームページでは、三足烏(やたがらす)と表現している。
元々賀茂氏が持っていた「神の使いとしての鳥」の信仰と、中国の「太陽の霊鳥」が習合したものともされ、古来より太陽を表す数が三とされてきたことに由来するとする見方は、宇佐神宮など、太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社(ヒメコソ神社)の神紋が、三つ巴であることと同じ意味を持っているとする説である。
中国では古代より道教と関連して奇数は陽を表すと考えられており、中国神話では太陽に棲むといわれる。陰陽五行説に基づき、二は陰で、三が陽であり、二本足より三本足の方が太陽を象徴するのに適しているとも、また、朝日、昼の光、夕日を表す足であるともいわれる。
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